スタッフ紹介

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代表  高田和浩

出身地:兵庫県加古川市

生年月日:1976年6月19日​

所属:FOSG(フルクラム・オステオパシー・スタディー・グループ)​、過去に全日本オステオパシー協会、全日本クラシカルオステオパシー協会に所属

保有資格:理学療法士(病院勤務期間:13年)、入谷式足底板上級コース修了

趣味:ウエイトトレーニング、野球

​代表はこんな人!

 見た目とは異なり、かなりの寂しがり屋です。専門学校時代は、遠方の実習地に行くたびに、毎日同級生に電話してかなり鬱陶しがられました。そんな性格ですので、予約の空き時間に一人でお店にいると、孤独に耐えきれずにお出かけします。でも、一人の時間がないと生きていけません。

 さらにかなりの怖がりでもあります。特にお化け関係は全然ダメです。霊感はないんですが、その存在は信じてます。

 野球部に所属していたため、野球にはこだわりが強いです。グラブはローリングスでないと本気が出せません。足が遅いので、余裕の三塁打がギリギリの二塁打になることがあります。

 褒められることに慣れてないので、褒められると微妙な顔になるそうです。が、内心跳んで喜んでます。

 家族全員が甘党のため、自宅には常にお菓子が溢れてます。自分に甘い性格は、甘いものの食べ過ぎによるものと考えられます。

 ごく稀に自分に厳しくなり、尼崎から加古川まで歩くなどの業を課し、すぐに実行するも完遂したことはありません。未遂になるのは、思いつきのため準備が不十分なことと、方向音痴なことが大体の原因です。

 子どもに合わせる事が出来るので、病院では小児のリハは全て担当してました。特に男の子とは、見てるテレビ番組がほぼ同じで、会話に困りません。平成ライダーでは、ファイズが好きで、バイクに乗ると頭の中でISSAが歌いだします。

 隠し事はすぐにバレます。なのでサプライズしようとしても、いつも相手は知ってます。

オステオパシーに出会うまで

(ここでは初めての方に、長めの自己紹介をさせていただきます)

少年期

 僕は小学生の頃はソフトボール、中学高校と野球部に所属していました。小さいころから身体は大きかったのですが、ケガも多く決して目立った選手ではありませんでした。

 特に高校時代は入学直後に肩を故障し、思うようにボールを投げることができないまま三年間が過ぎ、満足いく学生生活だったとは言えません。今でも肩の故障がなければ、どんな学生生活を過ごせていただろうと振り返ることがあるくらいです。

(ちなみに腰は中学生のころから毎年、ぎっくり腰になっていました(-_-;))

 

 そんな学生生活でしたので、整形外科や整骨院にはかなりお世話になっていました。

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 ここで治療家あるあるですが、自分のケガの経験から、世の中のケガで悩む人々の役に立ちたいという思いが芽生えるのですが、当時は理学療法士や柔道整復師などの学校は規制緩和前で数も少なく相当な狭き門でした。

恥ずかしながら僕は、勉強はまったくの苦手でその狭き門を通過する自信もなく、ただ何となくという気持ちで就職することを選んだのでした。

​社会人時代

 幸運なことに就職は、高校の斡旋で某一流食品メーカーにすぐに決まりました。

 就職後は地元の空手道場に入門し、空手とウエイトレーニングに没頭し、仕事→道場→自宅の三か所をずっと行き来している毎日でした。

 ウエイトトレーニングはかなりやり込んでいて、当時購入できる雑誌は手あたり次第買いあさり知識を詰め込んでいました。そんな僕を見ていた当時のトレーニングの師から、NSCAというアメリカの団体が認定するトレーナー資格があると聞き、自分の知識を試したいという気持ちもありすぐに試験を受けることになりました。

 

 結果、試験を無事に合格したのですが、それによりちょっと自信がついてしまいトレーナーとして働いてみたいと考えるようになりました。

 というわけで今度は、トレーナー(ストレングスコーチ)を目指し、高校卒業後から7年間お世話になった会社を退職することとなります。

​トレーナーを目指して

 NSCAという団体から資格を取得しましたが、それまで人に指導した経験もなかった僕は、まずは経験を積むためスポーツジムにてアルバイトを始めました。またそれと同時に、当時定期購読していた「アイアンマン」にて連載をもっていたパーソナルトレーナーの方に弟子入りをすることにしました。(この経緯は長くなるので割愛(笑))

 このスポーツジムでのアルバイト中に、理学療法士の養成校に通っているトレーナーさんと出会うのですが、このトレーナーさんが運動学や解剖学に詳しくて、それまで疑問に思っていたトレーニングのことをわかりやすく説明してくれました。

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 僕はしょっちゅうそのトレーナーさんの所に行って、色々と話を聞いていたのですが、ある時その方が「肩関節を特別勉強してない理学療法士の方が、勉強しているトレーナーより肩の事をよく知っている」という風なことを話していて、理学療法士ってどんだけすごいんだって衝撃を受けたわけです。

 ※もちろん、治療という観点でということだと思います。

 単純な僕はすぐに理学療法士になるべく、専門学校の資料を取り寄せたのです。

​予備校時代

 理学療法士になるには、専門学校か大学に3年か4年通い、卒業後に国家試験を受ける必要があります。

僕が入ろうと考えた学校は、そのトレーナーさんが通っているところで、入試には面接と数学と英語、そして小論文がありました。勉強が苦手な僕にとって筆記試験があるといいうのは、かなりの高い壁でその年の入学はあきらめ、地元の医療系の予備校に通うことにしました。

 予備校では10歳くらい年下の現役高校生たちと同じ席で毎日勉強してました。おそらく人生で一番勉強した時期かと思います。

それまでの人生で勉強から逃げてきた人間が毎日時間以上勉強すると、身体が拒絶したのか一時テキストを開くだけで眩暈が起こるという現象が生じ、つくづく勉強に向いていない身体かと思ったものです。

 

 そんな拒絶反応に負けず勉強を続けた結果、秋には無事に第一志望の専門学校に合格が決まりました。

人間一つ目標を達成すると欲が出るもので、キャンパスライフというものを経験していなかった反動からか、もう少し勉強して大学も受けてみようと考え、さらに勉強期間を延長し大学受験もすることになりました。結果は当初の予定通り専門学校に入学することになるのですが(笑)

理学療法士として

 専門学校に無事に入学した後は、自分の興味のある分野でしたので特に勉強しているという感覚ではなく楽しく学生生活を過ごせました。

 まあ実習期間中はきつい時期もありましたが、恵まれた実習地でかなり勉強させていただきました。

4年間の専門学校を無事卒業し、国家資格を取得した僕は、地元の整形外科クリニックに就職することとなりました。

 そこでは朝から晩まで予約が埋まり、多くの患者さんを担当させていただいていました。最初の1・2年は実習先で学んだことがとても役に立ち、順調にリハビリをおこなっていました。

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 それが3年目に入った時に担当させてもらった肩関節疾患の患者さんで、とても難渋したことで理学療法士としての道が大きく変わりました。その患者さんは肩関節の疾患があり、同時に強烈な肩こりに悩まされていました。介入当初、いつも通り実習で学んだことを中心にアプローチしていましたが、何回リハを行っても思うような結果が出ずに何をしていいのか途方に暮れていました。

 

 ある時、ふとトレーナー時代に学んでいたカイロプラクティックを使ってみたらどうかと考え患者さんに説明し、背骨に対してアプローチしたところあれだけ手も足も出なかった肩こりが一瞬で改善し、ぼくも患者さんも驚いたのです。

それ以来、正当な理学療法だけではなく、カイロプラクティックも並行して行うことになりました。

​徒手療法の世界へ

 トレーナー時代に勉強していたカイロプラクティックが功を奏したことで、徒手療法というものに惹かれていった僕は、もっと深くカイロプラクティックを学ぼうと考えるようになり、インターネットで情報収集を始めました。

 

 ネット検索を始めて少しすると、あるカイロプラクティックのセミナーの動画に出会いました。そこに映し出されていたのは、大勢の受講生を相手に次々と治療をしている講師の姿でした。動画の中でその先生は、受講生のなかで体に不調を感じる人を前に出して治療し、その場で不調を改善していました。僕はすぐにその先生の所に連絡を入れ、弟子入りすることになりました。

 晴れて弟子入りした僕は師匠の技術を盗むため、毎週のように治療所にも見学に通わせていただきました。そこでは肩こりや腰痛はもちろん、他の色々な症状で悩まれている方が来られており、治療家の持つ手の力を実感することが出来ました。

 

 僕はカイロプラクティックに魅了されつつも、より多くのことを出来るようになるため、多くのセミナーに通うことにしました。内臓を中心に施術する整体や、足底板、食養生など興味を持ったものは全て受講しました。

 ただ唯一、オステオパシーだけは意識的に参加しないようにしていました。それはカイロプラクティックを中心に学んでいたため、あのそっと手を触れるだけの治療で体が変わるわけがない(※当時の偏見です)との思い込みがあったためです。実際にその思い込みは、すぐに覆されてしまうのですが・・・。

​徒手療法の世界へ

 オステオパシーを避けていた僕ですが、その世界にのめり込むのは意外に簡単でした。それは理学療法士として働きだして3年が過ぎようとしていたころ。当時の職場を退職し、次の職場として地元を離れ尼崎のクリニックへと転職を決め引っ越したのですが、そのひっこし先のすぐ近くにオステオパシーの協会本部があったのです。

 

 縁とかをすごく信じる僕は、引っ越し先のすぐ近くにあったというだけでこれはオステオパシーを学べと言っているのではないかと感じ、あれだけ避けていたオステオパシーの世界へと飛び込んだのです。

 実際に本格的にオステオパシーを学び始めると、ただの不思議な世界と言う印象は全くの偏見で、解剖学や生理学を重視して理にかなっており、自分が学んできた程度の知識では足元にも及ばないと痛感しました。そこからはオステオパシー漬けの毎日で、セミナーも可能な限り参加しました。

 オステオパシーを学び始めてからは、病院では難渋する患者さんが激減し自分の腕にも自信がついてきました。するともっとオステオパシーが好きになり、学びに行くというサイクルが出来上がっていました。

 オステオパシーと言ってもいくつもジャンルがあり、当時僕が学んでいたのがイギリス式のものでした。良いものはどんどん学びたい僕は、他の団体のステオパシーも学んでみたいと考えており、ある時、以前から気になっていた伝統的オステオパシーのセミナーを受講することにしました。

衝撃・・・

 その以前から気になっていたセミナーを受けた僕は、講師はもちろんテーブルトレーナーの方々の知識と技術に圧倒されたのです。

 何が一番の衝撃だったかと言えば、自分が感じているものと同じ感覚を、全ての先生が共有できるという文章にしたら何を言っているのか分からないことです。もう一度書くと、自分が感じているものは錯覚ではなく、講師の先生方と同じものが感じられているというのがすごく衝撃で、すぐにここで学びたいと考えることになりました。

 

 イギリス式のオステオパシーもすごく好きで、両方を並行で学びたい気持ちもあったのですが、二つを同時に学べるような奥深さでは到底ないため、全力で伝統的オステオパシーを学ぶ決意をしました。

開業

 病院でのリハビリでは、時間が短く、また多くの人が周りにいて騒がしさもあり。オステオパシーを行うには適していません。やはり全力で学んでいるものとしては、オステオパシーの全てを世の中の困っている方に届けたい気持ちが強くなり、病院勤務を辞めて自費での開業を決意しました。

 

 当初は明石市で店舗を構えていましたが、いまはこれもご縁により昔からお世話になっている方の力を借りて神戸元町にて、オステオパシーの素晴らしさを多くの方に伝えるべく日々精進しています。